2011-03-14

What is happiness?

まだまだ全然不安だし、地元が心配でしょうがない。
けど、いろいろ書きたい事があるから。




とても美しい岩手が、本当に悲しい姿になっています。
僕が生まれ育った盛岡は、幸いにもそこまで大きな被害はないけれど、沿岸の街は、海水浴したり、イクラ丼食べに行ったり、ライブしに行ったりした、とてもとても思い出が多い街なんです。
だから、今の姿が信じられないし、見るたびに苦しい。悲しい。





大きな揺れがあって、すぐに母親に電話した。
つながらない。
泣きそうなぐらい不安だった。

まず、姉と連絡がとれた。よかった。
友人も。
やっと母とも。

その日の夜は、ほとんど眠れなかった。
ずーっと地元と連絡とったり、緊急地震速報が鳴り止まなかったりで、ほとんど。






僕が今から書くことは、被災地の盛岡って街のことだけで、ほんの一部のことだから、もっと悲惨な地域もあります。
盛岡は助かっている街です。













家族や友人とメール・電話のやりとりをしていて、みんなホントすごい明るいんです。
絵文字とかニコニコしててさ。
なぜだろう?みんな強いな。
って思っていたんだけど。
それがなぜか今朝わかった。

ライフラインが全滅していた被災地。
テレビやネットがもちろん観れない。
だから、沿岸の悲惨な状況を知らなかったらしい。
今朝、やっとテレビを観た姉と、さっきやっと観れた友人が、津波の被害を観て改めてすごい地震だったのだと気づいたらしい。
そう。東京に住んでる僕らより、当事者の人達の方が情報が少なすぎるということ。
津波の事も、被害者の多さも・・・何もかも知らないでいた。

それは逆も言えることで、僕らはテレビ・ネットの情報で何でも知ってるようだけど、何も分かっていなかったんだと、さっき友人からの電話で知った。
僕の想像以上に悲惨だ。

地震があった時の状況も。
ライフラインがストップしていた2日間のことも。
復旧した今だからまた生まれる問題のことも。

僕らは何もわかってない。
僕らに何ができるんだろう。



テレビやネットの呼びかけで、東京やその他の地域でも節電をしてくれる方々が多かった。
友人や家族は、本当に感謝していたよ。
僕からもありがとう。





大人の方々に次にしてほしいこと。
お願いです。
とにかく早く物資を届けてあげてほしい。
開店してるスーパーやコンビニは、長蛇の列で物が無いらしいです。
すぐに尽きるだろうと。
暴動が起こるんじゃないかと不安がる友人もいました。

電気が止まっていて、暖をとるためや、携帯を充電するために車で生活していた人達が多く、ガソリンがとにかくないです。




そして、みんな同じことを言っていた。
震度2〜4の余震が今も続いていて、それが起きるたびに、これがまた大きい地震になるんじゃないかとビクビクしていると。
眠れないと。
本当にコワいし辛いし不安だろう。
疲れもストレスも大きいだろう。


まだまだ、気は緩められない。
僕らも。
ニュースでは、まだまだ大きい余震があると。
これ以上の被害はほんとに嫌だ。





電気がついて、水もでて、火もつく。
やっと風呂に入れる。
やっと気分が楽になったと、友人は今日、お母さんと乾杯したらしい。


当たり前にある物。
当たり前にある事。
それが当たり前じゃなくなって、当たり前だった事が幸せだったんだと感じる。

きっと、彼ら彼女らは今、僕なんかより全然たくましい。

彼らが笑顔で頑張っているからこそ、僕も笑顔で元気に生活しなければ!!




Do not give it up. 
Live by one's best.